今日のタイ語
ความผิดต่อองค์พระมหากษัตริย์ 不敬罪
ーความผิด クワーム・ピット=誤り、罪
ーต่อ トー=〜に対する
ーองค์ オン=人の類別詞(高位の人を指す最高敬語)
ーพระมหากษัตริย์ プラマハーガサット=君主・国王
ประมวลกฎหมายอาญา มาตรา 112 刑法112 条(不敬罪が規定されている条項)
ประมวล プラムアン=成文化する、法典に編む、体系化する
กฎหมาย コットマーイ=法律
อาญา アーヤー=刑罰
มาตรา マートラー=区分・制度・法規、日本語で言うところの「条」
タイ語とラオ語はどこまで違うのか?
前の記事「自転車でタイ・ラオス国境を渡る」で、タイ-ラオス第一友好橋の国境線状にある石碑を紹介した。

これ
自転車でタイ・ラオス国境を渡る(1)自転車での国境通過術【第一友好橋・タイ→ラオス編】で、記事の中でも書いた通り「英語、タイ語、ラオ語は同じことが書かれているのにラオ語のほうがタイ語と比べて一行少ない」と疑問があった。
タイ語は12行、ラオ語は11行。
ちなみに英語は10行。
もちろん違う言語なので違いがあるのは当然なのだが、この2ヶ国語は非常に似通った文字と文法だということ。
言ってみれば大阪弁と京都弁の違いくらいしかない←あくまでも分かりやすくするための適当な解釈です。
なのになんでかな〜という素朴な疑問なのだな
その場でじっくり読み比べるにはあまりにも危険な場所なので、撮った写真を見比べて検証してみよう。
仮説
最初に断っておくが、オレはどうにかタイ語を読み書きできるレベルであってそれほど精通しているわけでもなく、ましてやラオ語にいたっては一度も習ったことがないド素人。あくまでもタイ語の知識でラオ語を読み解いたもの。ド素人なりの検証だということを忘れずに。
読み比べる前にオレなりの仮説を立てててみた。
【仮説】
「自転車でタイ・ラオス国境を渡る」の記事中にある「今日のタイ語」で一部紹介したが、ラオ語はタイ語と比べて同じ単語でも文字数が違うことがある。
ラオ語
ປາ paa 魚→タイ語 ปลา plaa 魚=1文字少ない
ラオ語
ປະຕູ pa tuu 門→タイ語ประตู pra tuu=1文字少ない
ラオ語
ວຽງຈັນ เวียงจันทน์ヴィエンチャン=なんと3文字も少ない
そうタイ語とラオ語は非常に似ているのだが、ラオ語のほうが同じ単語でも文字数が少ない場合があり、それが行数の違いになっているのか?
まあ、簡単な理屈だがそんな仮説を立てて読んでみたが。。。
タイ語の余談タイ語をちゃんと習ったことのなる人ならどこかで聞いたことがあると思うが、タイ語の多くが外来語(サンスクリット語・パーリ語からの借用語)。
なので元の音をそのままタイ文字化して、読みはタイ語風に変えていることが少なくなく、いわゆる「読まない文字、音に出さない文字」が結構ある。
โทรศัพท์トーラサップ/電話、最後の
ท์は読まない。
จันทน์ジャン/月、最後の
ทน์は読まない。
等々
タイ語学習者からすれば余計なことをしやがってということになるが、まあこれが由緒正しきタイ語なのだから我慢して覚えるしかないね。
余計な話だが、タイ語にはヨーロッパ語に見られる「動詞の時制変化もない」し、「名詞の複数形」「男性名詞女性名詞」の区別もないので、言葉としては非常に単純なのだが、文字と音はなかなか曲者である。
ただし、これらの読まない文字(黙字というらしい)は英語やヨーロッパ言語系にも少なくない。
tim
eは
eを読まないし、
knowやWe
dnesdayなどと多い。
服
部(はっとり)の
部、
右衛門(えもん)の
右、
和泉(いずみ)の
和等日本語にもあることはある。
どーでもいい話だが、オレのご先祖様には○○太郎右衛門という方がいた(江戸時代の墓の文字から判明)(=゚ω゚)ノ
■英語版の碑文

タイ語もラオス語も知らない人にとっては何の話かさっぱりわからないと困るので、最初に英語版を。。。
書いてあることは非常に単純明解で「いつ誰によって誰に提供された橋なのかが書いてあるだけ」
■ラオ語の碑文

■タイ語の碑文

行ごとの比較
英語、ラオス語、タイ語の順で各行ごとに文章を抜き出してみた。
■1行目Friendship Bridge (友好橋)
ຂົວມິດຕະພາບ(友好橋)
สะพานมิตรภาพ(友好橋)
さすがにここは同じだね■2行目A gift from the people of Australia(オーストラリア国民からの贈り物)
ຂອງຂວັນຈາກປະຊາຊົນອົດສະຕາລີມອບໃຫ້ແກ່(オーストラリア国民から〜への贈り物)
พระบาทสมเด็จพระปรมินทรมหาภูมิพลอดุลยเดช(プミポン・アユンヤデート国王陛下)
タイ語でいきなり違う文言が (゚∀゚)
タイ語では最初に贈り主ではなく、もらい主のプミポン国王の名を持ってきているところにさすが・・・絶句。
そりゃあ、下々のオーストラリア国民より断然高位にあるからね (  ̄~ ̄)ハイハイおっと、あまり言いすぎると不敬罪で捕まりそうだ。。。
■3行目to the peoples of 'Thailand and Lao PDR,(タイとラオスの国民へ)
ປະຊາຊົນລາວ ແລະ ປະຊາຊົນໄທ(ラオスとタイの国民)
สยามินทราธิราช(タイの国王の)
タイ語、まだ言ってるよ・・・
2−3行目を合わせると
英語:タイとラオスの国民へのオーストラリア国民からの贈り物
ラオ:ラオスとタイの国民へのオーストラリア国民からの贈り物
タイ:タイ王国の国王であらせられるプミポン・アユンヤデート国王陛下
タイ語が長い理由が分かってきたかな・・・┐(´-`)┌■4行目presented in the presence of (〜の列席のもと贈呈された)
ພະນະທ່ານໂພລ.ຈ.ຄີດຕິງ ສພ(ポール・キーティング閣下)
เสด็จพระราชดำเนินมาทรงเป็นประธานร่วมกัน(主賓として〜とともにご出席あそばされた)
タイ語、贈り主のオーストラリアの名前、まだ出てこないんですが〜???■5行目His Majesty Bhumibol Adulyadej, King of Thailand, (プミポン・アユンヤデート、タイ国王陛下)
ນາຍົກລັດ ຖະມົນຕີແຫ່ງປະເທດ ອົດສະຕາລີ ເປັນຜູ້ມອບ (贈呈者であるオーストラリアの首相の〜)
ฯพณฯ หนูฮัก พูมสะหวัน (ヌーハック プームサワン閣下)
■6行目and His Excellency Nouhak Phoumsavanh,(〜と、ヌーハック プームサワン閣下)
ໂດຍການເຂົ້າຮວມເປັນກຽດຂອງ(栄誉ある〜とともに)
ประธานประเทศแห่งสาธารณรัฐประชาธิปไตยประชาชนลาว(ラオス人民民主共和国の国家主席である〜)
タイ国王の次はラオスの国家主席か〜■7行目President of the Lao People's Democratic Republic, (ラオス人民民主共和国の国家主席)
ພະນະທ່ານ ໜູຮັກ ພູມສະຫວັນ (ヌーハック プームサワン閣下)
ในโอกาสที่ ฯพณฯ พอล คีตติง (ポール・キーティング閣下臨席のもと)
おっ、やっとプレゼンターの名前が出てきたが・・・■8行目by the Honourable Paul Keating, MP,(ポール・キーティング閣下により)
ປະທານປະເທດແຫ່ງສາທາລະນະລັດປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ ແລະ (ラオス人民共和国の主席である、それと・・・)
นายกรัฐมนตรี แห่งประเทศออสเตรเลีย (オーストラリア首相である)
やっとオーストラリアが出てきたけど、どんな関連かはいまだ不明・・・■9行目Prime Minister of Australia, (オーストラリアの首相)
ພະບາດສົມເດັດພະເຈົ້າ ພູມິພົນ ອະດຸນຍະເດດ (プミポン・アユンヤデート陛下)
มอบ "สะพานมิตรภาพ" (”友好橋”が贈呈された)
ほほ〜、贈呈されたことがやっとわかったよ、でも誰から?■10行目on 8 April, 1994(1994年4月8日に)
ເຈົ້າຊິວິດແຫ່ງ ລາຊະອານາຈັກໄທ (タイ王国の)
ในนามของประชาชนชาวออสเตรเลีย (オーストラリア国民の名の下に)
10行目にしてやっと出てきたよ、贈呈者のオーストラリア国民の名前が。。。■11行目英語はなし
ໃນວັນທີ່ 8
ເມສາ 1994 (1994年4月8日に)
เป็นของขวัญแก่ประชาชนชาวไทยและชาวลาว (タイ国民とラオ国民に対する贈り物として)
最後の最後にやっと分かりましたよ■12行目英語はなし
ラオ語はなし
เมื่อวันศุกร์ ที่ ๘ เมษายน พุทธศักราช ๒๕๓๗(仏暦2537年4月8日金曜日に)
読み比べて分かった!タイ語の文章だけが長い理由
記念碑に記された同じ主旨の文章。
だが、英語10行、ラオ語11行、タイ語12行とタイ語が一番長い文章になっている。
ラオ語とタイ語は多くの部分で同じはずなのだが・・・
「当初立てた仮説=ラオ語はタイ語より同じ単語でも文字数が少ない場合が多いから」
しかし、多少の表現の差や順序に違いはあるが、決定的な差は以下の文章
(左端の○数字は何行目かを示している)
《ラオ語》
②
ຂອງຂວັນຈາກປະຊາຊົນອົດສະຕາລີມອບໃຫ້ແກ່(オーストラリア国民から〜への贈り物)
③
ປະຊາຊົນລາວ ແລະ ປະຊາຊົນໄທ(ラオスとタイの国民)
オーストラリア国民から
ラオスとタイの国民への贈り物
👉2行
《タイ語》
⑨
มอบ "สะพานมิตรภาพ" (”友好橋”が贈呈された)
⑩
ในนามของประชาชนชาวออสเตรเลีย (オーストラリア国民の名の下に)
⑪
เป็นของขวัญแก่ประชาชนชาวไทยและชาวลาว (タイ国民とラオ国民に対する贈り物として)
タイ国民とラオ国民に対する贈り物として
オーストラリア国民の名の下に
”友好橋”が贈呈された。
👉3行
結論=タイ語は「友好橋を贈呈された」という文言を敢えて(贈り物を贈られたと重ねて)改行して書いてある為、ラオ語と比べ1行多くなっている。***
なんだかあっけない結論なのだがしょうがないね・・・
そんな劇的な結論は無いだろうとは思っていたけどね。
つまらない結論だけど、せっかくここまで調べたので一応記事に上げておきました♪(o・ω・)ノ))
でも、これを読み比べてみての副産物というか、タイ語だけは表現の違い、序列、主役の違いがはっきり出ていて興味深かった。なるほどー、タイらしいね♪と実感させていただきましたよ。
3ヶ国語のまとめ
最後に各国語を日本語に直した文章(直訳)は以下の通り。
《英語》
Friendship Bridge
A gift from the people of Australia
to the peoples of 'Thailand and Lao PDR,
presented in the presence of
His Majesty Bhumibol Adulyadej, King of Thailand,
and His Excellency Nouhak Phoumsavanh,
President of the Lao People's Democratic Republic,
by the Honourable Paul Keating, MP,
Prime Minister of Australia,
on 8 April, 1994
友好橋
オーストラリア国民から
タイとラオスの国民への贈り物
タイ国王陛下であるプミポン・アユンヤデートタイ国王陛下、
ラオス人民民主共和国の国家主席である
ヌーハック・プームサワン閣下列席のもと、
オーストラリアの首相である
ポール・キーティング閣下により
贈呈された。
1994年4月8日。
全10行敬称がちょっとうざったいが、非常にシンプル
《ラオ語》
ຂົວມິດຕະພາບ
ຂອງຂວັນຈາກປະຊາຊົນອົດສະຕາລີມອບໃຫ້ແກ່
ປະຊາຊົນລາວ ແລະ ປະຊາຊົນໄທ
ພະນະທ່ານໂພລ.ຈ.ຄີດຕິງ ສພ
ນາຍົກລັດ ຖະມົນຕີແຫ່ງປະເທດ ອົດສະຕາລີ ເປັນຜູ້ມອບ
ໂດຍການເຂົ້າຮວມເປັນກຽດຂອງ
ພະນະທ່ານ ໜູຮັກ ພູມສະຫວັນ
ປະທານປະເທດແຫ່ງສາທາລະນະລັດປະຊາທິປະໄຕ ປະຊາຊົນລາວ ແລະ
ພະບາດສົມເດັດພະເຈົ້າ ພູມິພົນ ອະດຸນຍະເດດ
ເຈົ້າຊິວິດແຫ່ງ ລາຊະອານາຈັກໄທ
ໃນວັນທີ່ 8 ເມສາ 1994友好橋
オーストラリア国民から
ラオスとタイの国民への贈り物
贈呈者であるオーストラリアの首相の
ポール・キーティング閣下、
栄誉ある
ラオス人民共和国の主席である
ヌーハック プームサワン閣下
タイ王国の
プミポン・アユンヤデート陛下列席のもと(贈呈された)。
1994年4月8日
全11行ほぼ英語と同じ表現。
ちなみにラオ文字は入力できないんで、タイ語をgoogle翻訳してみたら95%ラオ語に置き換えることができた。
こうしてみると、ラオ語とタイ語は文字も文法もほぼ同じだということが分かるね〜
タイ語の知識だけでもラオ語は十分分かる。
《タイ語》
สะพานมิตรภาพ
พระบาทสมเด็จพระปรมินทรมหาภูมิพลอดุลยเดช
สยามินทราธิราช
เสด็จพระราชดำเนินมาทรงเป็นประธานร่วมกัน
ฯพณฯ หนูฮัก พูมสะหวัน
ประธานประเทศแห่งสาธารณรัฐประชาธิปไตยประชาชนลาว
ในโอกาสที่ ฯพณฯ พอล คีตติง
นายกรัฐมนตรี แห่งประเทศออสเตรเลีย
มอบ "สะพานมิตรภาพ"
ในนามของประชาชนชาวออสเตรเลีย
เป็นของขวัญแก่ประชาชนชาวไทยและชาวลาว
เมื่อวันศุกร์ ที่ ๘ เมษายน พุทธศักราช ๒๕๓๗友好橋
タイの国王であらせられる
プミポン・アユンヤデート国王陛下を主賓として、
ラオス人民民主共和国の国家主席である
ヌーハック プームサワン閣下、
オーストラリア首相である
ポール・キーティング閣下臨席のもと
(プミポン・アユンヤデート国王陛下が)出席あそばされ、
オーストラリア国民の名の下に
タイ国民とラオ国民に対する贈り物として
”友好橋”が贈呈された。
仏暦2537年4月8日金曜日
全12行出席者の序列が・・・
「オーストラリアからの贈り物」ってことは最後の最後にちゃんと書いてはあるけど、あくまでもタイ国王がわざわざ出席した式典の主賓であるぞよ!ということが強調された文言かな?
それにタイ語にだけは贈呈された曜日まで入っている。
面白いね〜
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