脱♪サラリーマン流浪記(バンコク留学編)

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勝てば官軍!・・・ホアロー刑務所跡《2017ハノイ(13)》

さて、最後の観光地はメジャーなホアロー刑務所跡です。
ベトナム戦争中、収容された米軍捕虜達が皮肉を込めて「ハノイ・ヒルトン」と呼んでいたのは有名な話。

なぜか?wikipediaには日本語版がないので英語版をリンクさせています。
IMG_0219-0324.jpg

ここはフランスが1800年代後半に作り、植民地からの独立運動等を扇動した政治犯を、ベトナム戦争中は米軍捕虜を収容していた刑務所跡。つまり時代によって、ベトナム人が収容される側になったり収容する側になった刑務所。

さて、オレはここで何を見たのでしょうか?
答えはタイトルにあります。

***

刑務所なんで気持ち悪い展示物が多く(ギロチンもあり。写真を撮ってる人の気持ちがわからない)、写真はほとんど撮っていないが、概ね以下のような展示内容だった。

1、フランスによる植民地時代
(1)民族団結、独立を目指す志士が捕らえられ、拷問・処刑が繰り返された。
(2)しかし、どんな扱いを受けようとも、我々の独立を望む強い意志はくじけない。
(3)そして、我々はディエンビエンフーの戦いに勝利し、ついにベトナム民主共和国(北ベトナム)を樹立し解放されたのだ。

2、ベトナム戦争時代
(1)我が共和国は捕虜に対しジュネーブ協定を順守し取り扱った。
(2)展示写真の多くは「ベッドでくつろぐ米兵捕虜」「スポーツを楽しむ米兵捕虜」「絵を描く米兵捕虜」「治療を受ける米兵捕虜」
(3)「米軍捕虜たちはここで我が共産党の慈悲深く温かいもてなしを受けた」という内容のみ。
注意:全ての展示物の説明文を読んだわけではありません。

まあ、こんな感じ。
笑っちゃうでしょ?

じゃあ実態はというと前出のJohn Sidney McCainさんに関するwikipedia(マケイン氏撃墜記念碑とカフェB52《2017ハノイ(12)》)を読んで貰えばわかるが、一部抜粋すると・・・
1967年、マケインの乗ったA-4はS-75によって撃ち落とされた。両腕を骨折し足にも怪我を負い、パラシュートで脱出しチュックバック湖に落ちる。
意識を取り戻してみると、彼の周りには暴徒が集まっており、彼を叩いたり蹴ったり、服を引きちぎったりしていた。またライフルの台尻で肩を砕かれたり、銃剣で左足や腹部を突かれるなどした。その後、ハノイの捕虜収容所に搬送された。
重傷を負っていたにも関わらず、ベトナム民主共和国側は彼を病院に連れて行かず、いずれにしろすぐに死ぬだろうと考えていた。ベトナム民主共和国側はマケインを殴打し尋問した。その後、ベトナム民主共和国側はマケインの父親が海軍大将であることを知り、彼に医療処置を施し、マケイン捕縛を公表し、6週間の間病院で最低限の治療を受けた。
1967年にハノイの戦争捕虜キャンプに送られ監房に入れられた。
1968年3月には独房に監禁され、そこで2年間耐えた。
1968年8月、マケインに対する拷問が行われた。痛みを伴う姿勢で縛られたり、2時間ごとに殴打されるなどし、更に赤痢にもかかってしまい、辛さ故に自殺を図るも看守に止められた。4日間の拷問の後、自分は "black criminal" で "air pirate" であると書かれた反アメリカプロパガンダの”告白”に署名させられた。
ベトナム民主共和国側はもう1つの文書にも署名させようとしたが、これを拒否し、その結果殴打が続くことになった。他のアメリカ兵にも同じような拷問が行われた
1973年3月15日に釈放された。

ね?

「歴史はその国の政権によって(自由に)作られるもの」がこれほど分かりやすい博物館はないので是非一度行ってみると良い。

勝てば官軍を地でいく博物館。
※ベトナム戦争における南ベトナム軍&米軍の残虐行為は沢山映像に残っている。つまりどっちもどっちってことね

まあ、日本にもそういうのってあるけどね。。。

IMG_0217-0317.jpg
これは2008年にマケイン氏本人がかつて収容されていたホアロー刑務所跡を訪問した時の写真の写真。

***

まあ、悪口ばかりなのも・・・ここの展示物で印象に残って写真を撮ったものがあるので、その話をすこしだけ。

それがこの文章。
IMG_0218-0317.jpg
この説明文の下には、フランス軍によって処刑場に送られる受刑者(たぶん政治犯)の絵があったと思う。

読みにくいと思うので書き出してみた。
I need not say anything more.In the life and death struggle between us, those who have lost country and you the thieves, the sacrifice of people like us is inevitable. We only know that finally we will win.

もう何も言うまい。
国を失った者と奪った者との生死をかけた戦いに犠牲者は付きものだ。
(しかし)最後に勝つのは我々だ!

注意:訳は適当です

これは1944年に処刑場に送られる囚人(ベトナム政治犯?多分独立運動家)が残した言葉(らしい)。

プロパガンダ満載の博物館なのだが、この表示には目が留まった。

そう、国を失った者の末路とはこういうことだ。

国を失うってことは単にパスポートの色が変わるだけじゃないんだよね〜
おそらく・・・

それを一番知っている「チベット、パレスチナ」の人に聞いてみればよくわかると思う。
また「超強硬」なイスラエルの人達がなぜそこまでやるのか?ってのをよく考えたほうがいい。

***

ただ、この言葉が本物なのかはかなり疑わしいね〜

有名な「板垣死すとも自由は死なず」。
実際に板垣退助は「アッと思うばかりで声も出なかった」とか「痛い、医者を呼んでくれ」と言ったという説もあり。
こっちの方が真実味があるよね?

これと同じで、まあちょっと眉唾ではあるがね。。。

***

ということで、博物館というより「プロパガンダ施設」のホアロー刑務所跡。
中身を注意・吟味しながら見ていかないと、日本にいるアホな「なんでも反対!主義者」みたいになっちゃうので注意してね♪

IMG_0220-0324.jpg
真実はこの「刑務所」だけが知っている。。。

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| 2017ハノイ【1】2月 | 00:05 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

眉唾かもしれないとはいえ、自国を失うことの重大さてこういうことなんだって
改めて思いますねー、どっかの平和ボケな国のボケな奴らのいうことを聞いてると
どっかの国の属国になってあー良かったって思うのか?って思いますよ。

| MoChit | 2017/04/01 15:12 | URL |

Re: タイトルなし

MoChitさん
最近はようやくいろんな考えが表に出てくるようになり、議論できるような環境になったのは評価できますね。
以前は「日本=悪、加害者、日本の一般市民=戦争被害者」論が圧倒的で、私自身も小学校で君が代を教えてくれませんでした(小学校五年生で転校し、転校先で初めて知りました)。

| Damascus | 2017/04/01 23:47 | URL |















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